横浜スタジアムの歴史


明治7年
居留外国人のクリケットグラウンドの着工

明治9年
横浜彼我公園竣工(中央部にクリケットグラウンド)
明治29年
旧制第一高等学校 vs 横浜在住米国人チームの国際野球試合が行われ、1回戦 29 対 4、2回戦 32 対 9といずれも旧制第一高等学校が大勝

YAC戦に出場した旧制第一高等学校の選手たち
明治32年
日本で最初の国際対抗ラグビー(慶応大学 vs 横浜在住米国人チーム)
明治42年
公園名を、横浜公園と改称
明治43年
公園内を全面的に大改修(日本風の築山林泉型)

明治末期の横浜公園の噴水

大正12年
関東大震災による被災者の仮収容所が設けられる
大正14年
震災復興事業の着工

昭和4年
関東大震災復興事業の一環として「横浜公園球場」が竣工
こけら落としの早慶新人戦にスタンド満員の15,000人観衆を記録

昭和9年
ベーブ・ルース、ルー・ゲーリック率いる米大リーグオールスター来日

全日本は 4 対 21 の大敗
二人の偉業と日米プロ野球の歩みが、日本で唯一横浜スタジアムの内野
コンコースに 「メモリアルレリーフ」として記されています
昭和20年
終戦で駐留軍に接収され「ゲーリック球場」と命名される
日本初の夜間照明塔が完成

昭和22年
日本で最初の女子野球「オール横浜第1回女子野球」開催
昭和23年
日本プロ野球初のナイトゲームが開催(巨人 対 中日)

昭和27年
平和条約締結とともに公園内の一部を除き大部分が駐留軍の接収を解除され横浜市に返還
昭和30年
球場改修にともない「ゲーリック球場」から「横浜公園平和野球場」と改名
昭和45年
球場老朽化のためスタンドの上半分を使用禁止し収容人員を半分に減らす
昭和47年
横浜平和球場再建推進協議会が約186,000人の署名を集め球場再建陳述書を提出
昭和51年
発起人初顔合わせ会で実現に踏み出す
昭和52年
2月 株式会社 横浜スタジアム設立
4月 新球場の工事着工

昭和53年
4月4日 わが国初の多目的スタジアムが横浜大洋対巨人でこけら落し
日本プロ野球では16年ぶりのフランチャイズ新球場の誕生


平成5年
横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズに名称を変更
平成10年
横浜ベイスターズが、38年ぶりの日本一に輝く

平成20年
球場開場30周年を迎える
平成24年
横浜ベイスターズから横浜DeNAベイスターズに名称を変更
平成27年
ナイター照明を屋外スタジアムの設備として日本で初めてLED化し、「第34回 日本照明賞」を岩崎電気株式会社と共同で受賞

平成29年
横浜スタジアム増築・改修工事 起工式
平成30年
球場開場40周年を迎える
令和2年
横浜スタジアム増築・改修工事竣工
